振返り2|祖母とアウティング
- 2020.05.27
- LIFE

「ブログ開始当初書こうと思っていたことを、未だに書けていない。」
2017年
ABOUTより|https://nantokuv.com/first/
・トンへ同性愛者(ゲイ)であることをカミングアウト
・ベンの海外赴任(9ヶ月間限定)
・祖母の入院
・トンの躁うつ病の悪化による、褥瘡(床ずれ)での入院
・祖母の死
・父の入院
・父の死
自分史上、最悪の1年になりました。
第1弾
今回は第2弾です。
祖母との2017年
祖母=トンの母です。
幼少期は特にお世話になり、育ての母に近い感覚。
2017年はゲイであること話したり、入院・他界をした年でした。
一言でいうと「しっかり者」
決して裕福でない中、「先天性のくる病」と「躁うつ病」を発症したトンを養うため、家事だけでなく着物縫いの内職をこなしながら2人の子育てをこなす。
一生面倒を見る覚悟をしていたトンが嫁ぐことができ、亭主関白な祖父が亡くなると、自由を獲得。踊りのお稽古や旅行を楽しみつつ、しっかり貯蓄と投資で財産を増やす。
(本当にトンの親なんだろうか・・)
と思ってしまう程、快活で周囲に頼られる、心身共に丈夫なしっかり者でした。
お世話になった、幼少期
3歳の頃、トンが入院した1年間祖父母の家で育ててもらったり。
幼稚園に行きたいのにトンの体調不良で行けない時、こっそり電話すると、
「おう、待ってろ!すぐ行くからな。」
お弁当を持って電車とバスで家に駆けつけてくれたり。
自転車で行き来できる距離の親戚でなく、隣の市に住む祖母にたくさん助けてもらった幼少期。
2016年|余命宣告
僕が高校3年生の時、祖父が他界。以来10年1人暮らしをするも、家の建替と同時に息子夫婦と同居開始。その3年後、胆管がんと診断され、
「余命1年」
の宣告を受ける。
手術・強い薬の投薬は行わず、最低限の薬で自宅療養を始める。
2017年
近くに住むいとこに子供が生まれ、ひいお婆さんになったおかげか、余命1年の壁を超える!
しかし、少しずつ確実に弱っていく・・
アウティング
息子から「同性愛者(ゲイ)だとカミングアウト」され、1人で抱えきれず、母に相談したトン。
トンの葛藤、一番の相談相手が祖母であることはわかっていたので、アウティングのことを怒る気にはなれず。ただ、快活だけど【昭和感】が強い祖母が、どう思ったのか、どんなリアクションだったのか(トンは錯乱していて覚えてない・・)不安でした。
(知られてしまったなら直接話しておきたい。)
食べる量が減り、足腰の痛みも手伝って弱々しくなった祖母を、ドライブへ連れ出す。
認められた・・?
何度も言おうとするも、どう切り出して良いからない。
(無理しないでいいか・・でも、2人だけで話せるのはこれが最後かも・・けど、何を言いたいんだろ・・)
自分で連れ出したくせに、数時間のドライブでは言い出せず。
諦めて、近所のデパートで買い物をして帰ることに。常連のお店で茶葉を買い、休憩スペースに座っている時、
「トンから聞いたと思うんだけど・・」
自分でも驚くほど唐突に、なぜか切り出すことが出来ました。
どんな反応が返ってくるか怖くて、2人きりの車中では切り出せなかったけど、ガヤガヤしている空間だったから話せたのかも。
独身であることをいつも心配されたので、楽しくやっていることを伝えたつもりだけど、記憶が定かでない。覚えているのは、
・公衆の面前で大泣きしたこと
・「別にいいじゃねぇか。帰ってお茶飲むべ。」と優しかったこと
・かと思いきや「どこがいいんだかなぁ・・」とボソッと言われたこと
何に対して「どこがいいんだか・・」と言ったかは、未だに不明だし、怖くて深掘り出来ず😓少しのモヤッとはありつつ、泣いたからか、スッキリ解放された気分で帰る。
病院で
治療ではなく痛みの緩和のため、国立がんセンター緩和ケア病棟へ入院。
池と花に囲まれた庭園がある静かな場所で、お見舞いでは車椅子ながら散歩を楽しむ。
最長1ヶ月しかいられない為、転院。
この頃には、ほとんど何も食べれないようになり、激痩せ。
転院から1週間、トンのお見舞い中、叔父から危篤の連絡が入る。
ぺっちゃんと相談し、成田病院に転院したばかりで不安定なトンには、何も言わず祖母の元へ。病院へ向かう土手が大渋滞で、病院に着く頃にはあたりは真っ暗。更に痩せ細った祖母は浅黒く、もう本当にダメなんだと痛感。
普段「ありがとう。」が言えないぺっちゃんが、「今までありがとう。」と泣いていたのが印象的でした。
翌日、祖母は静かに息を引き取りました。
最後のプレゼント
(祖母は最後、どんな気持ちだったんだろう。)
そんなこと考えたって無意味なんですが、いつからか
「こんなんで生きててもしょーねーよな。さっさと逝っちゃいたい。」
と言うようになり、考えさせられました。
・ろくに動けず、食べられずが嫌だった?
・人様のお世話になるのが嫌だった?
・もう何の悔いも無い?
まぁ、わからないです。
わからないけど、入院先で散歩ができていた頃、唇のカサつきを気にしているのを見て【生きる気力】を感じ、すごく嬉しかった。すぐにリップクリームを贈るも、それが最後のプレゼントに。
有難かった、余命宣告
「余命宣告」「お見舞い」で、覚悟していた84歳の祖母の死は、静かに受け止めることが出来ました。
心配だったのが、何も知らず入院しているトン。
お見舞いにもお葬式にも行けず、母の死を知らされた時どうなるのか・・
不安でしたが、大きく取り乱す程の影響はありませんでした。
「余命宣告」で、心の準備が出来ていたおかげだと思います。
続くアウティングと、どん底
トンから祖母へのアウティング事件は幕を閉じるも、水面下ではもっと広がっていたことを、この頃はまだ知らず。
そして、祖母のお葬式の1ヶ月後に、急遽開催することになるぺっちゃんのお葬式。
最悪の2017年はまだまだ続くのでした。
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