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【閉鎖病棟】精神障害者だけの病棟へ入院。その環境は?

【閉鎖病棟】精神障害者だけの病棟へ入院。その環境は?

今日は母のお見舞いに、成田病院へ。

母は、昨年8月に救急車で慈恵医大に運ばれ、
9月に成田病院へ転院しました。

父が死んだ今、お見舞いは息子である僕しか行く人がいないので、
毎週末顔を出しています。

東京のマンションからは、電車とバスで約2時間かかり、
1回のお見舞いで7時間程かかってしまうのが辛いところ。

精神科、閉鎖病棟の環境

S棟という精神科の病棟に入院していますが、
ここはいわゆる閉鎖病棟で、
最初に足を運んだときは絶句しました。

閉鎖病棟なので、看護師に鍵を開けてもらわないと入れません。

そして一歩足を踏み入れると、何かが饐えたような、
独特の臭いがします。

手前にある休憩スペースには、TVや本棚、
洗面所などがあり、入院患者が自由に過ごしています。

どの方も、どこか虚ろな目をしていたのが印象的でした。

病室は、1部屋に8台のベッドが処狭しと置かれ、
仕切りは何もありません。

普通はカーテンでプライバシーを守りますが、
精神科の病棟では、自殺防止の為ないそうです。

私物も原則NGです。

病室に持込めるのは、
『置き時計』と『箱ティッシュ』、『眼鏡』くらいです。

お見舞いは面会室を利用しますが、
入院した当初は寝たきり状態だった為、病室に足を運んでいました。

独特の臭いと、雰囲気に、異世界に踏み込んでしまった違和感。

窓からは建て増しされていった病棟と山、そして成田から飛び立つ飛行機しか見えません。

この病棟は昔、結核などの患者を入れる隔離病棟として使われていたらしく、
とにかく物寂しい、この世の終わりを感じさせるものがありました。

ベッドとベッドの狭い隙間に、
無理やりねじ込んだパイプ椅子を並べてのお見舞いは、苦痛でした。

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母をこんな所に閉じ込めてしまった

慈恵医大から成田病院に転院した日の帰りの車で、
「母は毎日こんな所で生活しなくてはいけないのか」
「なんてところに連れてきてしまったんだ」
と大きなショックを受けました。

今は亡き父と、2人で共有できたから耐えられたように思います。

「早く連れ戻さなくては」
「せめて閉鎖病棟から一般病棟に移さなくては」
と思い、翌週には病院と交渉もしました。

結局は、人間関係

交渉の甲斐もあり、一般病棟に移れるようにしたのですが、
母の意向で閉鎖病棟に残ることになりました。

良い看護師の方が多く、楽しくおしゃべりできるようになったからです。

特にリハビリ担当の先生とは冗談を言い合えるほど相性が良いみたいで、
嫌だ嫌だ言いながら、楽しそうにリハビリを頑張っています。

お見舞いに来た僕に話してくれるのは、
入院患者同士のトラブルからくる愚痴があるのも事実ですが、
それ以上に、先生や看護師の方のことを楽しく話してくます。

なので、成田病院の方には本当に感謝しています。

最初の頃、わがままを言って申し訳なかったです。

退院後の生活

そんな母も、来月退院予定です。

僕にはパートナー、俗にいう『彼氏』がいます。

現在付き合って4年目で、2年目に差し掛かる前に同棲を始めました。

今は仕事の都合で中国にいますが、4月には帰国。

母の退院後、
【誰と】【どこに】住むのか。

これを考えることが大きな人生の分岐点となり、
脱サラをする決意を固めました。

長くなってしまったので、続きはまたの機会に。

明日からも頑張りましょう!